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仙台高等裁判所 昭和22年(ネ)41号 判決

昭和二三年(ネ)第四一號事件控訴人(第一審原告)

仁藤善七

三浦五郞

田中一策

昭和二三年(ネ)第四二號事件控訴人(第一審原告)

保科政之助

保科佐太郞

昭和二三年(ネ)第四一 四二號事件被控訴人

山形縣知事 村山〓雄

主文

原判決中控訴人等の土地所有權確認を求める訴を却下した部分を除き、その他を取消す。本件を山形地方裁判所に差戻す。

控訴の趣旨

原判決を取消す(但し原判決中控訴人等の本件土地所有權確認を求める訴を却下した部分については不服を主張しない)。

被控訴人は、控訴人等に對し原判決添付目録記載の農地の買收處分における買收對價をそれぞれ同目録の請求對價欄記載の通りに變更する。訴訟費用は被控訴人の負擔とする。

事實

控訴代理人は、「控訴人等は原審で、控訴人等の各所有であつた農地の買收處分の無効であることを主張して、買收の對象となつた農地の所有權が、依然として控訴人等にあることの確認を求め、なおこの請求が排斥される場合の豫備的請求として、買收價額の變更を求めたのであつたが、右買收處分が無効であつて、當該農地が國の所有に屬しないで、依然控訴人等の所有である旨の主張は取止め、從つて請求の趣旨も減縮して專ら買收價額の相當でない所以を主張し(その詳細は原判決事實摘示の通り)その增額を求める點に限局する次第である。

抑も自作農創設特別措置法に基く土地の買收は國の事業であるから、同法第十四條による買收價額不服の訴も起業の主體である國を相手方として提起せられるべきことは、同條にその旨の明文が加へられた今日においては勿論のこと、從前の規定の下においても同樣であつたのである。控訴人等は本件において、敢てこれを否定し去つたのではなく、唯本件の訴状に被告を山形縣知事と表示したため、恰も同縣知事が國とは別個獨立の地位において相手取られたような觀を呈するけれども、元來知事は國の委任に基いて買收手續を實施するのであつて、その權限内においては國の機關としての地位をもつものと解し得るわけであるから、知事が被告として受ける判決は當然にその効力を國に及ぼす關係にあるのである。從つて本件の訴訟關係は、山形縣知事が被告として表示されていても、實質的には起業の主體である國との間に發生したのであつて、山形縣知事は、あくまでも國の代表機關たる立場において被告と表示せられたのである。要するに控訴人等の眞意は、國を以て訴訟關係の相手方、即ち被告とする趣旨であり、唯その表示が些か明確を缺き不十分であつたに過ぎないのである。さればこそ原審において訴状訂正申立書を提出して被告を國、その代表機關を山形縣知事とする趣旨を明白にしたのであつたが、原審はこの點に關して控訴人に釋明の機會を與えず、只管訴状の不十分な表示を提えて、本訴は國を被告としないものと解し、不適法としてこれを却下したのである。まことに不法不當の措置といわざるを得ない。」と述べ、

被控訴代理人において「本訴は名實共に山形縣知事を被告として提起されたものであつて、この點は訴状及び原審口頭辯論調書等により明白である。中途で被告を國に變えるが如きことは到底許さるべきでない。」と述べた。

理由

本件の記録によると、控訴人等は訴状に被告を山形縣知事と表示して本訴を提起したのであるが、その訴の要旨は、第一に、山形縣知事が買收令書を交付して爲した控訴人等各所有の農地に對する買收處分は、正當な補償の下に行われたものでないからして、憲法第二十九條の規定に違背し當然無効である。從つて、右買收處分の對象になつた農地の所有權は國に歸屬しないで、依然控訴人等の所有に屬するのであるから、その所有權の確認を求める。第二に、假に右買收處分が無効でないとしても、その買收對價が不當であることは明らかであるからして、もし右第一次の請求が理由がないと判斷せられる場合には、自作農創設特別措置法第十四條により買收對價の是正變更を求めるというのであること、そして昭和二十二年三月一日午前十時の原審最初の辯論期日において、控訴代理人は「本訴第一次の請求は、本件土地の買收處分の無効を原因として、民事訴訟法による土地所有權の確認を求めるものである。買收の結果、その土地の所有權は本來國に歸屬するのであるが、本件被告山形縣知事も、本件土地の所有權が原告等にあることを爭うものとして、被告山形縣知事を相手としたものである。」と釋明し、なお相手方の提出した乙號證の認否等のため辯論の續行を求めたが、原審は即日辯論を終結し、判決言渡期日を三月十五日午前十時と定めたこと、次いで控訴代理人は同年三月九日、口頭辯論の再開を申立てると共に、同日附「訴状訂正申立」と題する書面を提出し、被告を國とし、その代表者を山形縣知事村山〓雄と法務總裁鈴木義男と訂正したいと申出たこと、しかし、原審は辯論を再開しないで右言渡期日に控訴人等の訴全部を却下する旨の判決を言渡したこと。以上のことが明らかである。そして右判決の理由とするところは、要するに「控訴人等の右各請求は何れも通常の民事訴訟に屬するものであつて、この訴における被告は國でなければならない。然るに、控訴人等は被告としての適格をもたない山形縣知事を相手方として本訴を起したもので、しかもこれは單に當事者たる被告の表示を誤つたものでないことは、口頭辯論の全内容により極めて明瞭であつて、これを是正させる餘地のないものと認められるから、本訴はいずれも不適法として却下すべきである。」というにある。

なるほど前に述べたような本件の經過から見ると、控訴人等は當初から山形縣知事を被告として訴えるつもりで本訴を提起したのであつて、單純に被告の表示を誤つたのではないとした原審の見方も一應うなずけないことはない。しかし、だからといつて、本訴を不適法として却下したことが果して正當であるかどうかについては、更に檢討を要するものがあると考えられる。

原審における控訴人等の第一次請求、すなわち農地買收處分の無効を理由として被買收農地の所有權が今なお控訴人等に屬することの確認を求める部分については、控訴人等において當審に不服を申立てないのであるからして、原判決中右請求を却下した分の當否を當審で判斷する必要は勿論ないわけであるが、しかし、この點は原審で豫備的請求、すなわち買收對價の變更を求める訴とも關連するところがあるので、多少右の點に觸れることも止むを得ないところである。

ところで原審は、控訴人等の右第一次請求も第二次の請求も、共に通常の民事訴訟であつて、所謂行政事件に屬しないと前提し、この前提に立つて山形縣知事を被告とした本訴は不適法であると結論しているのである。しかし、まず右第一次の請求についてみるに、それが果して通常の民事訴訟に外ならないかどうかは、しごく簡單に片附けるわけにはいかない。なるほど本訴の原告である控訴人等の掲げる請求の趣旨の文言自體は、正しく被買收農地の所有權が控訴人等に屬することの確認を求めるというのであるから、訴訟の目的物は私法上の權利關係である土地の所有權に外ならないように一應みられるけれども、控訴人等主張の全趣旨からみると、その重點とするところは寧ろ山形縣知事が國の機關、すなわち、行政廳として自作農創設特別措置法(以下單に自創法という)の規定に基いて行つた控訴人等に對する買收令書の交付による農地買收處分が無効であるという點にあるのであつて、形式上は私法上の權利關係である所有權確認の請求のようにみえても、その實質は、山形縣知事の行つた右行政處分の無効確認を求めるにあるものと解するのが正當のようであり、控訴人等が請求の趣旨として掲げる文言の如きは、釋明權の行使により適當に是正させる餘地があつたものと思われる。もし然りとすれば、右請求は行政處分が本來無効であることの確定を求めるものであつて、「日本國憲法の施行に伴う民事訴訟法の應急的措置に關する法律」第八條、或は「行政事件訴訟特例法」第二條等に所謂「行政廳の違法な處分の取消又は變更を求める訴」(抗告訴訟)には該當しないけれども、行政處分の効力を爭うものである點において、結局「公法上の權利關係に關する訴訟」(右特例法第一條參照)の範圍に屬するものということができる。

元來國の行政機關が行つた行政處分の効力を爭う訴訟は、何人を被告として提起すべきかの問題については、以前から疑義の存するところであつたが、現實に當該行政處分を行つた機關(處分廳)の如何に拘らず、行政權の主體である國又は公共團體を以て被告とすべきものと畫一的に考えることが合理的であると云い得ないことはない。しかしながら、從來實際の取扱としては、原則として處分廳を被告とすべきものとされ、行政事件訴訟特例法(以下單に特例法という)第三條も、行政處分の取消又は變更を求める訴は、他の法律に特別の定めある場合を除いて、處分をした行政廳を被告として提起しなければならないと規定し、これによつて少くとも所謂抗告訴訟については被告の適格に關する疑義が一掃された。このことはもとより處分廳の主體性、當事者能力を當然の前提とするものではあるけれども、それは主として訴訟の實施遂行に關する實際上の便宜を考慮したのによるものであつて、當該訴訟の目的である行政處分が取消又は變更され、或はその無効であることが確定されることによつて、實質上權利義務に影響を受けるものは被告となつた行政廳自體ではなく、結局は當該行政權の主體である國又は公共團體であることには變りはないはずである。從つて、行政廳が被告として訴訟に直接當面する場合でも、その背後には常に國又は公共團體が控えているものとみること、更にくだいていえば、行政廳は國又は公共團體の身代りとして訴訟の矢表に立つているものとみることも決して無理なことではない。だから行政訴訟では、被告を變えても、さまで被告側に不利益を與えるわけではなく、實質的には國の代表者を變えるに過ぎないものとも考え得るのである。特例法第七條が、所謂抗告訴訟については被告の變更を許したこと、或は同法第十二條が廣く行政訴訟一般につきその確定判決は、その事件について關係の行政廳すべてを拘束する旨を明らかにしたことなども、右のような見地からして容易に首肯し得るわけである。以上の次第であるからして、控訴人等が山形縣知事を被告として提起した前記所有權確認の訴も、前に述べた通りその本態はあくまで行政處分の効力を爭うことになるのであつて、行政訴訟の範圍に屬するものとみるのが妥當であるとすれば、この訴の目的である農地買收處分を現實に行つた行政廳である山形縣知事に、被告としての適格がないものと斷することが果して正當であるかどうか疑なきを得ない。のみならず、假にこの確認の訴の被告は國でなければならないとしても、被告を國と訂正することが許されないものと斷言してよいかどうかについては多大の疑問がある。蓋し原判決當時にはまだ前記特例法が公布せられず、從つて所謂抗告訴訟についての被告の變更に關する同法第七條の規定を抗告訴訟以外の一般行政訴訟に準用(準用することの當否は別として)する餘地もなかつたことは明らかであるけれども、右特例法實施前においても行政訴訟の被告となつた行政廳と行政權の主體である國との關係は、前に述べたように決して純然たる他人扱いをすべきものでなく、寧ろ實質的には被告となつた行政廳は、國を代表して訴訟の表面に立つているものと見ることができるものであるから、本來國を被告として訴えるべきであるのに、誤つて行政廳を被告として訴を提起したような場合には、被告である國の代表者を間違えた場合と同樣に、民事訴訟法第五十八條、第五十三條によつて適當に補正させるべきものと解することも、必ずしも不可能ではないといえないことはない。このことは原告において行政廳を被告としたことが、國を被告とする積りであつたのに、誤つて行政廳を被告と表示したのではなく、當初からその行政廳を被告とする積りであつたと認められる場合でも別に異るところはないものと考えられる。しかし前に述べたように、控訴人等の所有權確認請求に關する部分は、控訴審における不服申立の範圍外であるからして、これ以上深入りしてこの點に關する原判決の當否を判斷することを要しない。

次に控訴人等の原審における第二次の請求の點について考察するに、自創法第十四條により農地買收對價に對して不服があるとして買收對價の是正變更を求めるこの訴が、「行政處分の取消又は變更を求める訴」の範圍に屬するかどうかについては議論の存するところであろうけれども、少くともそれが「公法上の權利關係に關する訴訟」、すなわち、行政訴訟に當ることは疑を容れないところである。もとよりこの訴は、新憲法及び裁判所法の施行により裁判所が憲法に特別の定ある場合を除いて一切の法律上の爭訟につき裁判權を有することとなつた以前においても、原判決(昭和二十三年(ネ)第四一號事件の原判決)に所謂「形式上の民事訴訟」として通常裁判所の權限に屬せしめられたものであつたが、その性質が、公法上の權利關係を訴訟物とする行政訴訟に屬することは、新憲法施行の前後によつて別段異るところはない。

ところで、右自創法第十四條による買收對價に對する不服の訴は、何人を被告として提起すべきかについては、昭和二十二年十二月二十六日法律第二百四十一號「自作農創設特別措置法の一部を改正する法律」によつて右第十四條の規定が改正せられるまでは法律に明文はなかつたが、右改正により、右の訴は國を被告とすべきことが明らかにせられた。しかし、右のような改正規定が公布實施せられる前でも、右の訴は理論上農地買收の主體、すなわち買收によつて農地の所有權を取得する國を被告として提起すべきものと解するのが相當である、と考えられていたところである。然るに、控訴人等が、右の訴についても山形縣知事を被告としたことは、この訴が前述の所有權確認の請求が理由なしとして排斥される場合の豫備的請求として起されたものであつた關係上、右第一次の訴と被告を同じくさせるを得なかつたものと察せられるが、前段に説明したような理由により、前記第一次の請求について被告を國と是正することが必ずしも許されないものとは言えない以上、豫備的請求である右買收對價に對する不服の訴の被告も、從つて同時に更正し得る餘地がなかつたものとはいえないわけである。すなわち、前示特例法が公布實施前である原判決當時においても、右訴の被告を國と改めさせることが絶對に許されないものと窮屈に考えることは、右訴の被告とせられた行政廳である知事と國との間の前述のような關係からみて、決して妥當なものとはいえない。

しかも今や控訴人等は原審における第一次請求を固執することを捨て、專ら右對價に對する不服の訴のみに限局したのであるから、右訴の被告を國に改めることが許されるかどうかを判斷すれば足るわけである。而して前記特例法の公布實施前である原判決當時においても、右の訴の被告を是正させる餘地がなかつたとはいえないこと上來縷説の通りであるが、特例法の實施せられた現在においては、より力強く右の見解を支持し得るものといわなければならない。すなわち、特例法第七條は「行政處分の取消又は變更を求める訴において、原告が被告とすべき行政廳を誤つたときは、原告に故意又は重大な過失のない限り訴訟の係屬中被告を變更することができる」との旨を規定した。

この規定は單に被告である甲行政廳を乙行政廳に變える場合のみならず、被告である行政廳を國に變えるような場合も含むものと解するのが相當である。ところで、自創法第十四條による訴について、右特例法第七條の適用があるかどうかは、右の訴が「行政處分の取消又は變更を求める訴」に當るかどうかによつてきまるわけであつて、この點については、疑問の存することは前に一言した通りであるが、見方によつては自創法第十四條による訴は、農地買收處分の一内容となつた對價の點について不服を主張し、その是正變更を求めるのであるからして、行政處分の内容の一部につき取消變更を求める訴とも考え得られ、從つて、この訴につき特例法第七條の現定が當然適用されるとの見解も一應成り立たないわけではない。假に右の訴が行政處分の取消又は變更を求める訴の範圍に入らないで、特例法第一條の「その他公法上の權利關係に關する訴訟」に外ならないとしても、前に述べたような右特例法第七條の立法趣旨からみて、同條は所謂抗告訴訟以外の行政訴訟にも能う限り準用すべきものと解するのが至當である。而して控訴人仁藤善七外二名が原審に本訴を提起したのは(原審昭和二十二年(ワ)第八十五號)、自創法第十四條の改正規定の實施前である昭和二十二年十二月九日であつて、同條による不服の訴についての被告を何人とすべきかにつき法律に明文のなかつた時である。明文がなくとも被告を國として訴えることが理論上正しいとすべきことは先に述べた通りであるけれども、右の訴を農地買收處分の内容の一部の取消變更を求める訴と解するときは、農地買收處分についての處分廳である知事を被告とするという見解も、その當否は別として全然根據のないことでもないし、それに、右の訴が豫備的に附加せられたものである點からして、同控訴人等が山形縣知事を被告としたことにつき、同控訴人等に故意又は重大な過失があるとすることは妥當と言い難い。又控訴人保科政之助外一名が原審に本訴を提起したのは(原審昭和二十三年(行)第二號)右第十四條改正規定の實施後である昭和二十三年一月十五日であつて、既に右の訴についての被告を國とすべきことが法規の上で明らかにせられた後であるけれども、右訴の提起が右改正規定の實施後間もないときであり、なほ控訴人仁藤善七外二名の提起した訴と同様、買收對價に對する不服の請求が豫備的に附加せられたこと等からみて、その被告を第一次請求の被告と同一の山形縣知事としたことにつき、右控訴人等の故意又は重大な過失があつたと見るのは、聊か無理であると考えられる。

以上説明の次第であるからして、控訴人等の本訴請求が、當初から山形縣知事を被告として提起されたもので、單にその表示を誤つたに過ぎないものでないから、これを是正させる餘地はないものとして、訴を却下した原判決は失當といわねばならぬ。原審は先ず原告たる控訴人をして被告の表示を適當に是正させた上、進んで爾餘の點においての審理を遂ぐべきである。

もとより本案請求の當否は、これについて審理を盡した上で判斷すべき事柄であつて、當審で今この點につきとかくの判斷をする段階に逹していないことはいうまでもないところであるが、何れにしても前敍のような形式上の瑕疵があるからといつて、たやすく本訴を却下した原審の措置には賛同し難い。形式上の缺陷については、どうしても補正の途のないものは仕方がないけれども、出來得る限り補正の機會を與え、以て本案請求の當否について審理判決することのできるように仕向けることこそ望ましいところというべきである。

よつて民事訴訟法第三百八十八條によつて、主文の通り判決する。

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